デニス・ホッパー死去
デニス・ホッパー氏が亡くなった…
デニス・ホッパーさん、74歳で死去
前立腺がんで、余命いくばくもないということは、
報道で知っていたが、
実際に亡くなられると、やはり一抹の寂しさがある。
これも時代の流れだから致し方ないが…
ホッパー氏といえば、
アメリカン・ニュー・シネマの代表映画
「イージー・ライダー」である。
高校生のころから見たかったが、
当時、既に過去の映画で、
名画座などでの再上映をチェックするぐらいしか
見る手段がなかった。
たまに雑誌「ぴあ」でチェックしたが、
なかなか見る機会がなく、
やっと見たのが19歳のころ、
レンタルビデオでだった。
まだビデオが出始めたころで、
市販のビデオもクソ高い値段で売られていた記憶がある。
まだ、ソニーがベータ版のビデオを売ってた時代の話だが。
余談だが、レンタルビデオ屋ができ始めたころ、
すでにAVも存在していた。
考えてみれば、
家庭へのビデオデッキ普及に、エロが大いに貢献したのは
周知の事実である。
あの当時はエロビデオも高かったなあ…
映画のVHSビデオだと、1万以上したな。
話がそれたが、
1969年あたりの、
ウッドストック世代のロック大好きだった、
高校生の俺は、
当然、イージー・ライダーにもおおいに感化されたクチである。
とはいえ、
ラヴ&ピースとかヒッピーとかサイケとかドラッグなんて、
まったく興味なかったけど。
ただ、あの時代のロック自体はかなり影響された。
ブルースの影響が色濃くでたロックの時代でもある。
イージー・ライダーの主題歌である、
「ワイルドでいこう」を演奏していた、
ステッペン・ウルフ自体も、
ブルースのカバーを演っていた。
あの当時の殆どのロックバンドには、
ブルースは基本中の基本だったわけで…
今、聴いてもカッコイイんだわ。
演奏自体は下手なんだけど、
そんなのカンケーねえ!
みたいな良さがあるんだなあ…
それはともかく、
ホッパー氏のご冥福をお祈りいたします。
…また、ひとつの時代が終わったな。
デニス・ホッパーさん、74歳で死去
前立腺がんで、余命いくばくもないということは、
報道で知っていたが、
実際に亡くなられると、やはり一抹の寂しさがある。
これも時代の流れだから致し方ないが…
ホッパー氏といえば、
アメリカン・ニュー・シネマの代表映画
「イージー・ライダー」である。
高校生のころから見たかったが、
当時、既に過去の映画で、
名画座などでの再上映をチェックするぐらいしか
見る手段がなかった。
たまに雑誌「ぴあ」でチェックしたが、
なかなか見る機会がなく、
やっと見たのが19歳のころ、
レンタルビデオでだった。
まだビデオが出始めたころで、
市販のビデオもクソ高い値段で売られていた記憶がある。
まだ、ソニーがベータ版のビデオを売ってた時代の話だが。
余談だが、レンタルビデオ屋ができ始めたころ、
すでにAVも存在していた。
考えてみれば、
家庭へのビデオデッキ普及に、エロが大いに貢献したのは
周知の事実である。
あの当時はエロビデオも高かったなあ…
映画のVHSビデオだと、1万以上したな。
話がそれたが、
1969年あたりの、
ウッドストック世代のロック大好きだった、
高校生の俺は、
当然、イージー・ライダーにもおおいに感化されたクチである。
とはいえ、
ラヴ&ピースとかヒッピーとかサイケとかドラッグなんて、
まったく興味なかったけど。
ただ、あの時代のロック自体はかなり影響された。
ブルースの影響が色濃くでたロックの時代でもある。
イージー・ライダーの主題歌である、
「ワイルドでいこう」を演奏していた、
ステッペン・ウルフ自体も、
ブルースのカバーを演っていた。
あの当時の殆どのロックバンドには、
ブルースは基本中の基本だったわけで…
今、聴いてもカッコイイんだわ。
演奏自体は下手なんだけど、
そんなのカンケーねえ!
みたいな良さがあるんだなあ…
それはともかく、
ホッパー氏のご冥福をお祈りいたします。
…また、ひとつの時代が終わったな。
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