【歴史のささやき】弥生人の顔かたち 地域差の理由は
【歴史のささやき】弥生人の顔かたち 地域差の理由は
佐賀平野から出土した甕棺と人骨。弥生人はどこから来たのだろうか
産経新聞2015年1月30日(金)08:06
□土井ケ浜・人類学ミュージアム名誉館長 松下孝幸氏
一口に古代人といっても、縄文人と弥生人には大きな違いがある。
縄文人の形質には地域差が存在しないのだ。北海道の縄文人も本州、九州、沖縄の縄文人も、縄文人という特徴を共通してもっており、同じような顔つきをしている。
ところが、弥生人の形質には地域差が認められる。地域によって顔かたちが異なっているのである。西日本の弥生人は、その特徴によって、「北部九州・山口」「西北九州」「南九州・南西諸島(琉球列島)」の3つのタイプに分類・整理することができる。
平野部の甕(かめ)棺墓から出土する北部九州・山口タイプは、顔が高く(長く)、鼻根部と呼ばれる鼻の付け根が扁平(へんぺい)で、鼻は低い。身長は男性平均で162~164センチ程度と、縄文人の158センチよりも高い。
西北九州タイプは、顔が低く(短く)、鼻根部が陥凹し、鼻が高い。一方で身長は約158センチと低い。こちらは長崎県や熊本県の天草地方などの海浜部の土壙(どこう)墓や石棺墓から出土する。
最後に南九州・南西諸島タイプは、頭を上から見た形(頭型)が、丸に近い短頭型である。顔は西北九州タイプよりもさらに短く、身長もかなり低く、155センチ程度しかない。南九州や琉球列島の海浜部から出土する弥生人の形質である。
遺跡の立地から、北部九州タイプは主に農耕を営み、西北九州タイプや南九州・南西諸島(琉球列島)タイプは漁労など主に海に依存した生産活動をしていたと推測される。
さて、山口県西部の土井ケ浜弥生人は、農耕従事者である北部九州タイプと同じ高顔・高身長を特徴とする。だが、遺跡(下関市)が響灘沿岸にあることから、かれらは海を生活の舞台としていたようだ。すなわち、顔かたちの特徴と生産様式とは関係がない。
では、弥生人にみられる顔かたちの地域差は、どうして生じたのであろうか。
西北九州タイプの特徴である顔が短く、鼻が高く、低身長というのは、縄文人の特徴でもある。従って西北九州地域にいた縄文人の子孫と考えられる。弥生時代になって別の地域から入ってきた人々ではないのである。
一方、土井ケ浜を含め、北部九州・山口地域の弥生人には縄文人の特徴がみられない。だから、かれらは縄文時代の終わり頃か弥生時代の初め頃に、大陸から渡ってきた人々か、かれらと関係のある人々ではないかと推測される。
土井ケ浜遺跡の発掘調査をおこなった人類学者の金関丈夫(かなせきたけお)(明治30~昭和58年)は、土井ケ浜弥生人を「渡来者と在来者との混血者」と考えた。金関は、縄文人と渡来者とが混血して、日本人になったと推測したのである。この仮説を「渡来混血説」という。
平成元(1989)年2月下旬、佐賀県の吉野ヶ里遺跡がマスコミで話題になった。このコーナーにも登場する高島忠平氏が発掘に携わった遺跡だ。
魏志倭人伝の邪馬台国を彷彿(ほうふつ)とさせる楼観(ろうかん)や城柵遺構が発見され、ここが卑弥呼がいた邪馬台国ではないかと騒がれたのである。私は、この吉野ヶ里の発掘調査を契機に、弥生人の出自に決着をつけるべきだ、と考え、中国大陸での調査を決意した。
◇
【プロフィル】松下孝幸
昭和25年、長崎県生まれ。49年、山口大学文理学部理学科卒。長崎大学医学部助手、講師、助教授を経て、平成5年から、「土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム」館長。現在、名誉館長。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei
/region/snk20150130066.html
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