春の海 宮城道雄
春の海(はるのうみ)は日本の箏演奏家、作曲家の宮城道雄が作曲した箏曲。
箏と尺八の二重奏である。
1930年の歌会始の勅題「海辺の巖」にちなみ1929年末に作曲された。
新日本音楽を代表する楽曲である。日本では、小学校における音楽の観賞用教材として指定されているほか、特に正月には、テレビ・ラジオ番組や商業施設等でBGMとして使用されているため、今日では正月の曲の一つとして知られている。
曲の特徴
宮城は曲のモチーフとして、8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた瀬戸内の景勝地、福山市の鞆の浦の美しい風景が目に焼きついたのをイメージして描いた。
『春の海』は宮城が西欧の音楽に影響を受け作曲した作品で伝統的な近世邦楽ではないが、日本的な気色を強く印象付けている楽曲に仕上がっている。
演奏
初演
『春の海』の初演は、1929年末に作曲者である宮城と尺八演奏家の吉田晴風により日比谷公会堂で行われた。宮城は、この演奏を聴いた批評家の牛山充に「君たちはまだ春にならぬこの暮の忙しいときに「春の海」なんて、そういうのんびりした気持ちになれるから倖せだ」と笑われたので、本当の初演は、翌年の春であると随筆『夢の姿』で述べている。
著名な演奏
『春の海』が有名になったのは、フランスのヴァイオリニストのルネ・シュメーとともに演奏したレコードによってである。来日したシュメーが『春の海』を気に入り、尺八のパートをヴァイオリンで演奏したものを録音したこのレコードは、日本、アメリカ合衆国、フランスで発売された。
春の海 Wikipedia
日本の正月には欠かせない楽曲ですね。
今更何をか言わんや、というぐらい著名な
優れた楽曲です。
日本的でありながらも、どこかにクラシック的な要素も
感じられますよね。
宮城道雄さんといえば、盲目の箏演奏家、作曲家ですが、
俺は、この人の書いた随筆が好きで、
いくつかの随筆を面白く読ませていただきました。
盲目の人ならでは、というと語弊があるやもしれませんが、
特に声に関するお話など感心しましたね。
心の調べという随筆には、こう書いてあります。
「 どんな美しい人にお会いしても、私はその姿を見ることはできませんが、その方の性格はよく知ることができます。美しい心根の方の心の調べは、そのまま声に美しくひびいてくるからです。声のよしあしではありません、雰囲気と申しますか、声の感じですね。
箏の音色も同じことで、弾ずる人の性格ははっきりとそのまま糸の調べに生きてまいります。心のあり方こそ大切と思います。」
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随筆集などの書籍も発売されていますが、
著作権切れなどの本を集めた
青空文庫というサイトで無料で読めるものもあります。
青空文庫 宮城 道雄
宮城さんは1956(昭和31)年に、列車から転落した事が原因で亡くなられました。
1956年6月25日未明、大阪の公演へ向かう途中、愛知県刈谷市の刈谷駅付近で夜行急行列車「銀河」に付き添いで同行している義理の姪(内弟子)と共に乗っていたが、この列車の昇降ドアから外へ出て列車の外に転落した事が原因で死亡した。当時は寝ぼけてトイレのドアと乗降口を間違えたなどの推測がなされたが、どれも信頼性がなく結局警察は自殺と認定している。しかし現在でも事故か自殺か、真相は不明のままである。なお、列車から落ちてすぐに死亡したのではなく、落ちた後に現場を通りかかった貨物列車の乗務員が線路脇にうずくまっている人を発見。すぐに通報を受けた刈谷駅の職員に助けられ豊田病院へと搬送されたあと午前7時15分に病院で死亡している。
命日の6月25日は遺作の歌曲にちなみ、「浜木綿忌」と呼ばれている。
宮城道雄 Wikipedia
関係者の方が、事故当時のことを克明に綴った文章が、
ネットでも全文掲載されていますので、
興味ある方は読んでみてください。
悲しき記録
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