出た!大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸~明治
発掘された「梅田墓」。墓の南端石垣の奥に、遺体を葬った丸い跡がいくつも並ぶ。発掘調査地はさらに奥に延びていたが、調査を終えて埋め戻されている=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影
江戸~明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。
梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」などにも登場する。
発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2~6月の調査では、墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかった。19年9月から始まった今回の調査では、北を上として逆L字のような形とみられる梅田墓の東半分を発掘し、東端の石垣を見つけた。敷地内では亡くなった人が木おけや四角い木棺、かめ棺に入れて整然と土葬され、火葬後に埋葬したものもあった。
墓地内の北側は石垣で区切られて一段低くなっており、土をかけたりしただけの埋葬や、穴に何人もまとめて入れた埋葬例が複数あった。発掘担当者は「疫病で一度に亡くなった人などが埋葬された区画かもしれない」と推測している。
副葬品には数珠玉や六文銭のほか、キセルや土人形、二朱金などがあった。今回の発掘調査の結果、墓地は江戸時代の終わりごろから明治20年代までの19世紀に使われたものとみられるという。駅南側から現在地への移転は、これまで1680年代とされていたが、間に別の場所を挟んでいた可能性が出てきた。
墓の考古学に詳しい大阪大谷大文学部の狭川真一教授は「東京では江戸時代の墓の調査例はいくつかあるが、これほど大規模な調査は非常に珍しい。墓が密集しているのが都市的で、短時間でこれほど大規模に造るのは農村では考えられない」と指摘した。
埋葬されたのは大坂城下町と周辺に住む一般庶民らしい。今回見つかった骨の分析結果は出ていないが、前回調査の分析では埋葬人骨は平均30歳代と若く、子どもの埋葬も少なくなかったという。安部考古動物学研究所の安部みき子所長(人類学)によると、手足を中心に病変がみられる個体が3割近くあり、梅毒や骨腫瘍を患っていた可能性がある。過去に大阪府茨木市の千提寺遺跡群で100体近く見つかった同時代の人骨の平均年齢は高く、骨の病変もなかったという。安部所長は「都市部と山村部で全然違うので驚いた。今回見つかった骨を分析することで、文献資料などと合わせて江戸時代の大坂の様子が分かれば」と期待する。
一連の発掘調査は8月末で終了予定。発掘現場は一般公開しない。【矢追健介】
毎日新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/18727792/
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