西城秀樹さん追悼 盟友・ギタリスト、芳野藤丸が明かす秘話と秘蔵写真「ヘタなロックよりロック。ロック以上だった」
「西城秀樹を聴いてたでしょ」って思わせる人が多かったよね。
氷室京介なんか、モロにそうだし、
ダイアモンド☆ユカイとか森重樹一とかも。
マイクスタンドの使い方やら歌唱法やら衣装やら(笑

エレキギターを弾く秀樹さん(左)と芳野藤丸 (芳野氏提供)
夕刊フジ
16日に急性心不全のため63歳で死去した歌手、西城秀樹さん。26日の葬儀・告別式では「新御三家」として活躍した歌手、野口五郎が弔辞を読むことが分かった。秀樹さんを悼む声は各界から相次いでいるが、歌謡曲の枠を超えたエンターテイナーとしての実力について語るのは、SHOGUNのギタリスト、芳野藤丸(67)だ。秀樹さんのバックを藤丸バンドとして務めるなど、盟友・秀樹さんのエピソードを秘蔵写真とともに夕刊フジに明かした。
秀樹と最初に出会ったのは1974年。ロッド・スチュワート&フェイセズが来日して、その前座のジョー山中さんのバンドでギターを弾いていたら、それを秀樹が見ていた。その後に乃木坂で偶然会ったときに、「あそこで弾いていたよね? 僕のバンドでやってくれませんか?」って声をかけてくれて。バックで弾くようになりました。
当時は“俺はロックしかやらない”と思っていたけど、それが『夜のヒットスタジオ』に出て振り付きでギターを弾くようになったり、さまざまなことを経験しました。秀樹はヘタなロックよりロックしていて、いやロック以上だなって。エンターテイナーとして素晴らしかった。日本人歌手のレベルを超えたスタジアム・ライブをやったり、そこでグランド・ファンク・レイルロードとかガンガンのロックを歌うんだけど、僕が勧めたものも多かった。秀樹もロックが大好きだったから。
バート・バカラックに曲を作ってもらおうと、一緒にラスベガスに行ったこともありました。女性ボーカルまで用意してもらいスタジオで録音したんですが、そのあと送られてきたテープを聴いた秀樹が、「これはダメだな」ってボツにしちゃった。すごいですよね。
一番の思い出というのかな、秀樹のバンドを離れるときのことはよく覚えています。78〜79年にSHOGUNを結成するときに、「しばらく一緒にできなくなります。バンドを離れなければなりません」と言ったんです。そうしたら、「そうか、ガンバレよ!」って。そのあとにSHOGUNがヒットするかどうかなんてもちろん分からない。でも、気持ち良く送り出してくれた。今の僕があるのも秀樹のおかげです。
SHOGUNが小休止したあとに、出戻って一緒のステージにも立ちました。もう一度、やりたかったな。気さくで、なんでもしゃべれる仲のいい友達、それ以上の存在でした。武道館や、後楽園球場をいつまでも走り続けていた秀樹。今はゆっくりと休んでください。
https://news.goo.ne.jp/article/fuji/
entertainment/fuji-ent1805216790.html
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