貧困女子高生の炎上 「算数力の劣化が一因」と数学者
【数学者が「貧困」論争に見る別の問題とは(写真/アフロ)※写真はイメージです】
NHK『ニュース7』の「子供の貧困」特集に端を発した「貧困女子高生」の大炎上騒動。貧困ゆえに専門学校に行けないと顔を出して登場した女子高生に対し、部屋にある品々や、女子高生のものと思われるSNSでの1000円ランチや映画鑑賞などを挙げて「貧困ではない」と批判が殺到。片山さつき参議院議員もTwitter上で批判的な意見を発信して逆に批判を浴びた。これら批判に対し「相対的貧困への無理解」との反論も飛び交い、大きな騒動へと発展している。
この騒動に対し、桜美林大学教授で理学博士の芳沢光雄さんは「数学を通してこの問題を考えれば、誤解を解消して一気に問題は解決するのです」と説き、今回の問題は、貧困であるかないかの議論以前に、「言葉の定義」と「算数力」における日本人の劣化を象徴している事件であると指摘する──。
* * *
最近になって、ようやく「絶対的貧困とは違う」という主張がマスコミに出ていますが、数値を挙げて「相対的貧困率」を説明しないからケンカが終わらないのです。この騒動は、「言葉の定義」と「算数力」を欠いてとんでもない方向に進んだ一現象と私は捉えています。当の女子高校生が貧困であるかないかといった議論は無意味なことで、算数程度の理解を持てば、こういう問題は簡単に解決できる話なんです。
まず、貧困には「絶対的な貧困」と「相対的な貧困」の2種類があり、「絶対的な貧困」とは、世界中で衣食住にも困っている人たちの問題を言います。そして今回の問題は、「相対的貧困率が上昇していること」にもかかわらず、「絶対的貧困」と「相対的貧困」とをごちゃ混ぜにしてケンカをしているところに、私は教育者として危機感を感じました。
「相対的貧困」について説明しますと、まず「世帯の可処分所得」と「世帯の一人当たりの可処分所得」があります。「世帯の可処分所得」とは、世帯を構成する人たちの年間所得の合計から、税金と社会保険料を差し引いた残りの所得を指します。
「世帯の一人当たりの可処分所得」は、要するに一人当たりが生活費として自由に使えるお金のことですが、算出方法として「世帯の可処分所得」を単純に世帯人数で割るのでは、電気や光熱費、食事など同じ家の中での生活で多く共用するものの視点が含まれず、割る数があまりに大きいため、√で割ると適当だろうとOECDが定義したものです。
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/archives/20160915_448229.html
2人世帯なら√2で割って1.4程度、3人家族なら√3で割って1.7程度、4人家族なら2で割ります。例えば、2人家族で年間1414万円が世帯の可処分所得とすると、1.4で割って約1000万円となります。
このように出した日本国民の「一人当たりの可処分所得」を全て大小順に並べて、真ん中に位置するのが「中央値」です。日本国民全体で見て、この「一人当たりの可処分所得」が中央値の半分以下の人たちを「相対的な貧困層」と考え、全体におけるこの割合を「相対的貧困率」と言います。したがって、裕福な国の中央値の半分以下と、貧しい国の中央値の半分以下とでは状況は全く違いますから、同列にして議論するのはばかげたことなのです。
貧しい国の「相対的貧困層」の人たちと比較したら、それは日本の「相対的貧困層」の方が裕福です。また、「絶対的貧困層」の人たちと一緒くたにして今回の女子高生を「裕福じゃないか」と批判するのは、間違いです。日本においては、彼女達は「相対的貧困」に入るということです。ここを国会議員ですらわかっていないことに危機感を覚えます。日本人の言葉の定義を大切にする意識と算数力が劣化した証明ですよ。
問題の本質は、日本で「相対的貧困率」の割合が上昇してきていることなのです。『論理的に考え、書く力』(光文社新書)で相対的貧困率について、具体的な数値を挙げて説明していますが、1985年の「一人当たりの可処分所得」の中央値は216万円でその半分の108万円以下の層、いわゆる「相対的貧困率」は12%でした。これが上昇していて、1985年を基準とする物価変動率を加味すると、2009年は中央値が224万円で半分は112万円ですが、実質で相対的貧困率は16%に上がったと厚生省が発表しています。
「子供の貧困」に絞り、年齢が17才以下の子供に限定して「一人当たりの可処分所得」を並べても、大人の場合の数値とそう変わりません。「子供の相対的貧困率」は、1994年は12.1%、2009年には15.7%、それが今は16%ほどまでに上昇しています。このように、数字ひとつ挙げず、メディアも一般の意見もみんながみんな、世界の本当に貧しい国の中央値とごちゃ混ぜにした議論を展開しているから収束しないのです。数字を挙げればそれで終わりです。ですから日本国民にしっかり算数を学ぶこと、そして言葉の定義を大切にすることを訴えたいのです。
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今回、格差が拡大していることに対していいか悪いかという議論なら適当ですが、世界の絶対的貧困と混同するほど無意味な議論はありませんし、思い切って問題を訴えようとした女子高生の心を傷つけること。最近はマスコミの報道を見ていても、一人の個人のことを寄ってたかって議論する傾向がありますが、問題は全体として考えるべきです。無意味なケンカをするのではなく、もっと建設的に解決していこうと提案したいのです。
そして、少子化で少なくなった若い人たちを手厚く支えて、将来に向かって有意義な勉学に励める環境に高めることがこれからの課題だと思うのです。大学生が奨学金という500万円前後の大きな借金を背負って社会に出て行くこの現象は、異常だと私は思っています。今、文科省も考えているようですが、国がプラスの金利付きの奨学金で苦しめる状況ではなく、国がマイナス金利の時代なのだから、勉学に集中できるようにまず奨学金は0%にして、日本の将来を背負って立つ若い人たちをフォローしていくべきです。
昔は野口英世をはじめ、苦学して立身出世した人達は大勢いますが、その時代は教科書が非常にしっかりしていました。近年でも、戦後1970年代前後までとゆとり教育元年の教科書と比べたらまるで月とすっぽんです。学校でほとんど教えられず、塾や家庭教師や参考書代を使える一部の裕福な子供たちだけはいい教育を受けられて、それ以外の子供たちは切り捨てるようなことをしていたら、相対的貧困率の更なる上昇に結びついてしまう。このことを視野に入れていたからこそ、90年代後半からゆとり教育を強く反対していたのです。
世界では、さまざまな企業が数学力を持つ人を採用して大切にしています。「数学は役に立たない」とばかなことを言っているのは日本くらいです。進学できない、勉強できないでは悪循環。それでは日本の劣化が進んでしまうことを今こそ真剣に考えるべきなのです。
【芳沢光雄(よしざわ・みつお)】
東京理科大学理学部教授を経て、現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授(桜美林大学学長特別補佐)。理学博士。著書に『論理的に考え、書く力』(光文社新書)や『生き抜くための高校(中学)数学』(日本図書センター)など。
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