大盛りあがりGO 前川清、「長崎は今日も雨だった」は思い入れゼロだった

前川清、「長崎は今日も雨だった」は思い入れゼロだった

ヒット曲がテキトーに作られたなんて驚きですな。
それより、なにより、この曲が売れたのは、やはり、前川清の歌唱力があってこそ、なんでしょうな。
歌の最後の「雨~だった~♪」っていう部分はファルセットだったんですね。知らなかったなあ。

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大ヒットしたデビュー曲「長崎は今日も雨だった」について語る前川清(カメラ・小泉 洋樹) 【報知新聞社】

(スポーツ報知)

 日本の名曲の魅力に迫る「にHo!んの歌」。第5回は、歌手・前川清(68)がボーカルを務めた「内山田洋とクール・ファイブ」の1969年のデビュー曲「長崎は今日も雨だった」(作詞・永田貴子、作曲・彩木雅夫)。同年の日本レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦に初出場し、グループ歴代最多の売り上げを記録した。「いつ辞めてもいい」という思いで始め、来年で50周年を迎える歌手人生の原点となった同曲の秘話などを聞いた。(星野 浩司)

 48年前、記念すべきデビュー曲となった「長崎は今日も雨だった」。前川の楽曲に対する思い入れはゼロに近かった。

 「歌手は全く目指してなかった。歌はただ生活していくための道具。メシが食えれば何でもよかった」

 勉強が大嫌いで、親に黙って高校2年で中退。生活は貧しく、セールスマンや溶接工を経て、長崎市のキャバレーで歌手として働いた。内山田洋がリーダーを務めていた、クラブ「銀馬車」専属のジャズバンド「クール・ファイブ」の小林正樹に声をかけられ、ボーカルとして歌謡グループの一員となった。

 「メンバーの楽器を持ったりする裏方で入って、たまに歌ってた。森進一さんを売り出したチャーリー石黒さんが『銀馬車』に来て、デビューを持ちかけてくれて。給料が減ると言われて嫌だったけど、内山田が話を進めてトントン拍子でデビューすることになった」

 恋に破れ、長崎の街を歩く女性の心を歌うムード歌謡曲「長崎―」。森進一(69)の「花と蝶」「年上の女」を手掛けた彩木雅夫氏が作曲した。

 「メロディーを聴いて、彩木先生は忙しいからテキトーに作ったんだと思った。石原裕次郎さんの『夜霧よ今夜もありがとう』(67年)に似てて、冒頭の『しのび会う恋を〜』と『あなたひとりに〜』は同じに聴こえた。2〜3年前に彩木先生と会った時、テキトーに作ったのか聞いたら『そうだよ』と笑ってた」

 歌詞は「銀馬車」のマネジャーだった永田貴子氏が作詞した。

 「ど素人が書いたひどい歌詞で、彩木先生は気に入らなくてずいぶん手直ししてた。元の歌詞に『雨』なんてなかったし、原型がなくなるほど8割くらい変わった。変なタイトルで意味が分からなかったし、メロディーラインもあまりしっくりこなくて、最初は気に入ってなかったです」

 それでも、歌い方にはささやかなこだわりがある。

 「Aメロはしっとり、サビは力強く。コーラスのハーモニーを聴かせるために、サビの『あゝ』で音を伸ばしたいけど、あえて伸ばさなかったり。ソロを始めてからはコーラスの『ルル〜ルル〜』がなくて、彼らの存在の大きさが分かった」

 20歳で6人で長崎から上京。初めて九州から外へ出て、一生忘れられないレコーディングを行った。

 「寝台特急『さくら』で夜中に関門海峡を通って人生で初めて本州に入ったんです。僕は一番年下だから、3段ベッドの一番上。寝転がったら天井ギリギリで狭かった。一睡もできずに12時間以上かけて東京に着いて、その足で築地のビクタースタジオに行きました」

 ボロボロに疲れ果てた状態で録音した歌声が、逆に功を奏した。

 「ヘッドホンがなくて、スピーカーから小さいカラオケの音が流れる中で歌って、自分の声はモニターできない。戸惑いながら4〜5時間歌いました。徹夜で調子が悪くて、声の伸びも最悪。翌日もう一回歌わせてもらったけど、不思議なことに初日の方が声の仕上がりが良くて採用された。上京した直後で必死に一生懸命、何も考えずに歌ったのが良かったのかな。あの歌い方はもうできない」

 二度と出せない最高の声に自分でも驚いたという。

 「当時、最後の歌詞『雨だった〜』はファルセットで歌ってたけど、今は裏声が出ないから同じ歌い方はできない。のちに桑田佳祐さんがカバーして、当時の俺の歌い方のままに歌った。俺が歌えないのに、なんで歌えてるんだとショックで。うまいな〜と」

 レコ大新人賞、紅白初出場と快進撃は続いた。

 「紅白のステージは全く覚えてない。芸能界に興味がない6人がこんな舞台で歌っていいのか。目指したところじゃなかったので喜びも全くなく、真っ白な状態で終わった」

 デビュー曲が大ヒットしたが、なぜか給料は上がらなかった。

 「デビュー当時の給料は5万円ほど。5〜6年目でヒット曲が2〜3曲出て、内山田が『メンバーに内緒だけど、お前の給料を2倍の40万にする』と。胸にしまって喜んだけど、内山田が06年に亡くなった後でメンバーと会った時『俺たちは100万もらってた』と言われて。内山田、ふざけるな!と思ったね」

 前川にとって「長崎―」とはどんな存在か。

 「最初は全然良い曲と思わなかったけど、自分の原点になった。歌手をやってなかったら詐欺師とかやってたかな。他人とは違う、人が嫌がるような汚い仕事をしてると思う。そうならなかったのもこの曲がヒットしたおかげだね」

 ◆来年50周年「区切りに」

 来年、デビュー50周年を迎える前川は「長かったな」としみじみ。「歌手としてテレビや新聞に登場するのは70歳まで。75歳くらいでお声もかからなくなるだろうから、50周年がひとつの区切りになる」と心境を明かした。今後について「毎年新曲を出すのもいいけど、今までの曲を改めて再認識して懐かしんでもらいたい」と過去の名曲を歌い継ぐ大切さを強調した。50周年に突入する来年2月から全国約50か所を巡るツアーを計画している。


 ◆1969年の世相 

 1月、東大安田講堂で学生と機動隊員との攻防戦が勃発。5月、東名高速道路が全線開通。7月、米アポロ11号が人類初の月面着陸成功。8月、TBS「水戸黄門」放送開始。渥美清さん主演映画「男はつらいよ」シリーズ1作目公開。10月、巨人・金田正一投手がプロ通算400勝達成。流行語は「あっと驚くタメゴロー」「オー、モーレツ!」など。大卒初任給は月給約3万2000円。

 ◆前川 清(まえかわ・きよし)1948年8月19日、長崎・佐世保市生まれ。68歳。69年「内山田洋とクール・ファイブ」としてデビュー。同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。「そして、神戸」「東京砂漠」などがヒット。87年からソロ活動を始め、福山雅治プロデュースの「ひまわり」など発表。NHK紅白歌合戦はグループで11度、ソロで18度出場。71年に歌手・藤圭子さん(2013年死去)と結婚、翌年離婚。80年に馬主資格を取得し、愛馬コイウタが07年G1ヴィクトリアマイルを制覇。趣味はニシキゴイ育成。
https://news.goo.ne.jp/article/hochi/
entertainment/20170521-134-OHT1T50156.html

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